今日こんな映画観た

日本未公開・未ソフト化の超マイナー映画から、誰もが知っている超大作まで、映画についての鑑賞メモ。
基本的にストーリーは結末まで記しているため、ご注意ください。

G:History

ヴェルナー・ヘルツォーク(1972)『アギーレ/神の怒り』

Aguirre, der Zorn Gottes
製作国: 西ドイツ
監督: ヴェルナー・ヘルツォーク
出演: クラウス・キンスキー/デル・ネグロ/ペーター・ベルリング/ルイ・グエッラ

【あらすじ】

1560年末、南アメリカに進出したコンキスタドーレスの一人、ゴンサロ・ピサロ(アレハンドロ・レプエス)は幻のエル・ドラドを求めてアンデス山脈を越え、山中を彷徨っていた。前進は困難と見たピサロは、ドン・ペドロ・デ・ウルスラ(ルイ・グエッラ)率いる分遣隊に周囲の調査を命じ、本隊には引き上げの命令を出す。

ウルスラ率いる分遣隊は筏で河を下るが、途中渦に巻き込まれた筏が先住民の襲撃を受ける。ウルスラたちは対岸に退避するものの、河の増水で筏を流されてしまう。ウルスラは本隊に戻ることを決定するが、副官のアギーレ(クラウス・キンスキー)が叛逆を起こす。ウルスラを撃って負傷させた彼は、高位の貴族であるドン・フェルナンド・デ・グスマン(ペーター・ベルリング)をエル・ドラド皇帝に即位させる。宣教師カルバハル(デル・ネグロ)を裁判長に据えた法廷はウルスラに死刑を宣告するが、グスマンは減刑してエル・ドラド市民権の剥奪に止める。

筏を作りなおしたグスマン皇帝一行はさらに河を下る。先住民の襲撃を受けたり、人食いの村に辿り着いたりしながらもエル・ドラドを求めて河を下ってゆく。途中、グスマン皇帝は死に、それを契機として護送されていたウルスラも殺される。黄金と権力に取り憑かれたアギーレは「神の怒り」を自称してエル・ドラドを目指すが、ついには腹心のペルーチョ(ダニエル・アデス)もカルバハルも、さらには娘のフローレス(セシリア・リヴェーラ)も先住民の放った毒矢に倒れるのだった。アギーレはそれでもなお、諦めずに南アメリカ、メキシコ征服の野望を語りながら、筏と共に消えてゆくのだった。

【感想】

クラウス・キンスキーの代表作の一つ。ペルーのワイナ・ピチュで撮影された本作は、実際のアンデスの険峻な山並みをとらえたショットや、増水する河を筏で下っていくショットなど、過酷な撮影が窺い知れる場面の連続で、なんかほんとに物凄い映画です。過度な演出もなく、淡々とドキュメンタリー・タッチで描かれる物語の中で、やはりクラウス・キンスキーの存在感というか、一人で不穏な気配を出し続ける佇まいはさすが。

いわゆる文明人であるウルスラやグスマンたちが、ほとんど手付かずの自然や正体を表さない原住民たちに悩まされるうちに、次第に正気を失ってゆく様が丁寧に描かれています。キンスキー演じるアギーレについては、もともと比較的狂気に近い人物造形なのであれですが、皇帝就任以降だんだんと壊れてゆくグスマンの描写は興味深い。

本作では最後に矢に倒れる宣教師のカルバハルですが、実在の彼はアマゾン川を下りきり、生還している模様です。

ビクトル・トレグボヴィチ(1972)『バイカルの夜明け』

Dauriya
監督:ビクトル・トレグボヴィチ
出演:ヴィタリ・ソローミン、イェフィム・コペリャン、ミハイル・ココシェノフ、スヴェトラーナ・ゴロヴィナ、ピョートル・シェロホーノフ

【あらすじ】

第一部

1914年夏、ロシア東方のバイカル湖近くのダウリヤ地方にある小さなオルロフスキー村では、コサックのアタマン(隊長)であるエリセイ(イェフィム・コペリャン)の指導のもと、村人たちは日々の暮らしを送っていた。村にはロマン(ヴィタリ・ソロミン)という若者が暮らしていたが、彼の家族からは政治犯ワシーリー(ワシーリー・シェクシーン)が出ていたため、村の一部の者からは軽んじられていた。

狼狩りや隣村との草刈場をめぐる小競り合い、そして収容所からの脱走犯の捕獲騒動などの小さな騒動がありながらも、村では淡々と日常が送られていく。

ロマンにはダリヤ(スヴェトラーナ・ゴロヴィナ)という恋人がいたが、村で裕福な雑貨屋の息子アレクセイ(ウラジミール・ロセフ)も彼女に惚れていて、何かとロマンと敵対していた。麦の刈り入れが終わる頃、アレクセイの父はアタマンのエリセイを仲人に立て、ダリヤの父エピファン(ヒョードル・アジノコフ)に結婚を申し込む。それを受けるエピファン。

それを知ったロマンはダリヤに駆け落ちを提案するが、ダリヤはその提案を拒み、両親の言いつけに従い、アレクセイとの結婚を決めるのだった。村の教会で行われる結婚式の当日、村は祝福に湧いていたが、ロマンは一人物思いにふけっていた。そこにエリセイがロシアとドイツが開戦した、との知らせを持って帰ってくるのだった。

第二部

4年後、ロマンのおじで政治犯として収容されていたワシーリーは赤軍の極東方面司令官となり、村を出たロマンも彼の下で指揮官となっていた。折しも赤軍はセミョーノフ率いる反革命軍に対して劣勢に立っていた。ワシーリーは4年前オルロフスキー村で鍛冶屋として潜伏していたセミョーン(ユーリ・ソロミン)の進言を聞き入れ、セミョーノフ軍の機関車に対し、爆弾を積んだ列車を激突させる作戦を実行する。列車にはセミョーンとオルロフスキー村出身のフェドット(ミハイル・ココシェノフ)が乗り込んだ。セミョーンの犠牲によって作戦は成功するが、セミョーノフ軍の進撃は止まらない。

形勢不利と見たワシーリーは撤退を検討し、ロマンにチタの財政部にある軍資金を後方に移すよう命じる。しかし、前線から逃げ戻ってきた司令官が反乱を起こし、チタの財政部を襲撃。ロマンはフェドットの助けもあって、なんとか逃げ延びる。森に潜伏していたロマンをはじめとする赤軍部隊だったが、あるとき反革命派のコサックによって捕えられてしまう。ロマンは拘留された鉱山の収容所で同郷のミーシュカと再会。ダリヤと結婚したアレクセイの死を知らされる。

処刑されかけるフェドットとロマンだったが、間一髪のところで脱走に成功。ロマンはフェドットと逸れてしまうものの、ダリヤの住む家にたどり着き、介抱を受ける。回復を待ち、故郷の家に戻ったロマンだったが、アタマンのエリセイが逮捕にやってくる。何とか逃げ延びたロマンは、赤軍残党のコミューンでフェドットにも再会。残党を立て直し、鉱山を襲撃。白軍将校を捕縛し、軍勢を整える。

一方その頃オルロフスキー村に白軍の懲罰部隊が訪れ、革命軍に同情的だったかどでエリセイをむち打ちにし、ダリヤを逮捕して連れ去ろうとする。彼女の逮捕に抗議したロマンの父セベリヤン(ピョートル・シェロホーノフ)は殺されてしまう。そこにロマン率いる赤軍部隊進軍の知らせが届き、懲罰部隊は一目散に逃げ出してゆく。

村に着いたロマンは、ダリヤとの再会を喜ぶものの、父の死を目の当たりにし、部隊を率いて懲罰部隊を追って村を飛び出すのだった。

【感想】

監督のビクトル・トレグボヴィチの作品で日本で劇場公開されたのは本作のみ。というか、今回ブログを書くために調べるまで、本作が日本公開されていたのは知りませんでした。1935年に生まれ、ソビエト崩壊直後の1992年に亡くなった、ほぼ全生涯をソビエト時代に送った世代の映画監督です。

本作はソビエトウエスタンとしてしばしば紹介されるのですが、西部劇というより戦争映画という印象が強いです。まあ、ソビエトウエスタンの中でもいわゆる「東部劇」は赤軍の東方進出を描いた作品が中心なので、戦争映画との区分けがなかなか難しい、というか、そもそもあまり区分けに意味がない、という感じもあります。主人公のロマンが率いているのが騎兵隊だったり、馬で馳け廻るシーンが多いのはウエスタン的という感じはします。

本作は大きく第一部と第二部に分かれ、それぞれ1時間半ほど。全部で3時間の大作です。前半では古いコサック集落の生活が描かれ、封建主義的ながら牧歌的な生活がのんびりと描かれる中に、ロマンのおじワシーリーの存在や、政治犯の逃走と射殺などの不穏を感じさせる要素が散りばめられています。

一方の第二部は映画冒頭から大規模な銃撃戦あり、少人数の部隊による司令部襲撃ありの、最初っから最後までクライマックス状態の中で、アタマンの家父長的権威の崩壊や、コサック集落の変容、そして何より社会主義的正義に目覚めていくロマンの姿が描かれます。

正直、第二部だけでも十分映画として成立はしており、アクションやウエスタン要素はほぼ全て第二部に存在しています。と言って、第一部は蛇足かというとそんなこともなく、ここを丁寧に描いていることで第二部が活きてくる、というか、そういう存在です。また、単純に第一部で描かれる農村の風景はなかなかに美しい。

一方で第二部は第二部で、大規模な銃撃戦や爆弾を積んだ列車による突撃など、大規模なアクションシーンが目白押しで、こっちはこっちでそういう面白さもある、一粒で二度美味しい的な映画でもあります。まあ、当時の一般的な映画に比べると2倍の上映時間なので、どちらも描けたということもあるでしょうが。

本作は日本で劇場公開されているものの、今に至るまで日本ではVHSやDVDなどのソフト化は行われていません。しかし、幸いにもRUSCICO(ロシア映画カウンシル)から出ている海外版DVDに日本語字幕が収録されており、それが入手できれば全く問題なく日本語環境で見ることが可能です。

Dauriya (1972) on IMDb

スルジャン・ドラゴエヴィッチ(1996)『ボスニア』

Lepa sela lepo gore
製作国:ユーゴスラビア(セルビア)
上映時間:129分
監督:スルジャン・ドラゴエヴィッチ
出演:ドラガン・ビエログルリッチ/ニコラ・コヨ/ドラガン・マクシモヴィッチ

相も変わらず映画自体はそれなりに見ていたんですが、ブログの更新は怠っておりました。なんか、ちょっとブログにまとめることが自分にとって過負荷になってしまっていたもので。今後はのんびりしたペースで、紹介したい映画を紹介していく感じでやっていきたいと思います。

さて、久々にご紹介するのはセルビアの映画監督スルジャン・ドラゴエヴィッチの第1作。ユーゴスラビア紛争を、セルビア軍に入隊した青年ミラン(ドラガン・ビエログルリッチ)の目を通して描いた『ボスニア』です。ぼく自身、ユーゴスラビア紛争についてはあまり知識がないため、ちょっと不正確なのですが、おそらくユーゴ紛争の中でもボスニア紛争が舞台になっているものと思われます。

ユーゴスラビアの田舎町で幼馴染のセルビア人のミランとボスニャク人(ムスリム人)のハリル(ニコラ・ペヤコヴィッチ)は一緒に自動車整備工場をやりながら暮らしていました。ある日、紛争が勃発。ミランはセルビア側に、ハリルはボスニア側にそれぞれ入隊し、お互いに銃を向けあうことに。故郷の村に駐屯していたミランの舞台は、ボスニア側の迫撃砲にやられ、幼い頃巨人が棲んでいる……と言い伝えのあったトンネルの中へと逃げ込みますが、トンネルの出口はボスニア側に包囲されてしまいます。1日後、ブルジ(ゾラン・スヴィヤノヴィッチ)がトラックに乗ってやってきますが、そのトラックに忍び込んでいたアメリカのニュースキャスター、リサ(リサ・モンキュア)ごと包囲に巻き込まれてしまいます。何とか脱出しようと図るミランたちでしたが……というのが大まかなあらすじ。

映画は病院に収容されたミランの回想シーンとして進行していきます。回想の中にさらに回想があったり、ミランが所属している隊の仲間たちの入隊経緯がフラッシュバックのように挟まれたりと、時間軸を自由自在に編集しながら展開していきます。登場人物の顔を見分けるまでは少し混乱するものの、そこまでややこしくはない感じ。

ミランの仲間たちは籠城の中で一人、また一人と倒れて行くのですが、そのシーンで走馬灯のように彼らの過去の日常風景が映し出されるのですが、ベタな編集ながら非常に効果的。

クライマックスのシーンを含め、なぜ内戦が起きてしまったのか、ということが監督を含め、まだ答えを探して苦しんでいる様子が非常に出ています。本作では99年には内戦が終わって平和が戻ってきた……かのような描写があるものの、実際には主要な内戦自体は2000年まで続くことになります。


 Lepa sela lepo gore
(1996) on IMDb

スタンリー・キューブリック(1960)『スパルタカス』

Spartacus
製作国:アメリカ
上映時間:198分
監督:スタンリー・キューブリック
出演:カーク・ダグラス/ローレンス・オリヴィエ/ジーン・シモンズ/チャールズ・ロートン/トニー・カーティス

カーク・ダグラスが製作総指揮、主演を務め、スタンリー・キューブリックに監督させた史劇映画の大作。ダグラスが製作と主演を兼ねたことにより、キューブリックの思い通りに撮れなかった部分も多かったようで、そういった意味では確かに他の作品と比べるとキューブリックらしさというのは控えめ。ですが、その分(と言っていいかわかりませんが)娯楽大作としては面白いものに仕上がっています。本作では剣闘士養成所の主人バティアトゥスを演じたピーター・ユスティノフがアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。

 いわゆるハリウッド製史劇の極北をゆく、厳しく力強い革命的な映画だ。ここで描かれるのは、単なるローマ帝国への反乱ではなく、失敗に終わるからこそ正しい“革命”の姿であるといえる。原作者ファスト、脚本家トランボ、そして製作者兼主演のダグラスの意図は明白だ。大戦は終わっても冷戦が始まり、いつ収まるとも知れぬ争いの時代に、人間の自由と尊厳の死守を訴える本作の問いかけは、現在もなお、我々に重くのしかかってくる。また、この映画のメガホンが、降板したアンソニー・マンの手からキューブリックに渡ったことも幸いだった。完璧なビジュアリストによる画面は、きわめて熱い物語を冷然と切り取って、スペクタクル・シーンにも瞬きも出来ぬ密度を作り上げている。91年の復元完全版(197分)では、カーティスとオリヴィエの同性愛をほのめかす場面などが加えられ、更に評価を高めた。

今回視聴したのはアントニヌス(トニー・カーティス)とクラッスス(ローレンス・オリヴィエ)の浴場でのシーンが追加された復元完全版。ここでのオリヴィエのセリフはアンソニー・ホプキンスが吹き替えているようですが、視聴時はほとんど違和感がありませんでした。

本作では監督であるキューブリックと、当時すでに大スターであり、製作総指揮も務めたダグラスの間の確執がいろいろと言われていますが、確かに完成した映画を観ると、キューブリックらしさは控えめ。当初は先日『ウィンチェスター銃'73』(1950)をご紹介したアンソニー・マンが監督を務めていたものの、ダグラスとの衝突が原因で解任され、その後任としてキューブリックが選ばれた、という経緯があり、彼としては雇われ監督との意識があったのかもしれません。

といっても、本作は(ある程度定型的ながらも)人間ドラマと史劇スペクタクルシーンがバランスよく組み合わされ、見ていて非常に飽きさせない作品に仕上がっています。特にクライマックスのエキストラも大量に動員したローマ正規軍とスパルタカス軍の激突のシーンは当時としてはなかなかのスピード感や、ちょっとしたスプラッタ的な演出もあり、改めて驚かされました。

本作でスパルタカスたちの蜂起のきっかけの一つとなった騒動を起こした黒人奴隷ドラバを演じたウディ・ストロードはその後、『ウエスタン』(1968)を初めとするマカロニウエスタンにもしばしば顔を見せており、ファンにはお馴染みの俳優ですね。

 Spartacus
(1960) on IMDb

クリント・イーストウッド(2014)『アメリカン・スナイパー』

American Sniper
製作国:アメリカ
上映時間:132分
監督:クリント・イーストウッド
出演:ブラッドリー・クーパー/シエナ・ミラー/ルーク・グライムス/ジェイク・マクドーハン/ナヴィド・ネガーバン/サミー・シェイク

アメリカ海軍特殊部隊SEALsの隊員として、イラク戦争に参加した狙撃手クリス・カイルの回想録を、本ブログでは『夕陽のガンマン』(1965)に主演したことでも有名で、世間的には近年は『許されざる者』(1992)でのアカデミー監督賞受賞、『硫黄島からの手紙』(2006)などでの監督賞ノミネートで有名なクリント・イーストウッドがメガホンを取った戦争映画。

 米海軍のエリート部隊“ネイビー・シールズ”の兵士としてイラク戦線で活躍した伝説の狙撃手クリス・カイルの回顧録『ネイビー・シールズ 最強の狙撃手』を、巨匠クリント・イーストウッド監督で映画化した戦争アクション。2003年のイラク戦争開始以後、4度にわたって戦場に赴き、仲間の命を守るために実に160人以上の敵を射殺した英雄の知られざる葛藤と苦悩の軌跡を、家族を愛しながらも戦場から離れがたくなっていく主人公の強い使命感と、それゆえに抱え込んでいく深い心の傷に焦点を当て、緊迫感あふれる筆致で描き出していく。主演は「世界にひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」のブラッドリー・クーパー、共演にシエナ・ミラー。
 2001年のアメリカ同時多発テロをテレビで目の当たりにした青年クリス・カイルは、祖国の人々を守るために貢献したいとの思いを強くし、ネイビー・シールズで狙撃手としての過酷な訓練に励んでいく。やがてイラクに出征したクリスは、その驚異的な狙撃の精度で味方の窮地を幾度も救っていく。仲間たちから“レジェンド”と賞賛される活躍をし、無事に帰国したクリス。これでようやく、愛する妻タヤと生まれたばかりの長男と共に平穏な日常を送れるかに思われたが…。

本作が公開された際、戦争を美化しているとか、戦意高揚映画だとか(戦争映画が公開された際にお決まりの)批判も出たようですが、映画を見たぼく個人の意見としては、クリス・カイルという人物と真摯に向き合い、彼が書いた「真実」を、常にある程度の距離を保ちながら、冷静な視線で観客の前に広げた映画だと感じます。アメリカ軍人であるクリス(劇中ではブラッドリー・クーパーが演じています)の視点から見ている以上、アメリカ側の主張を裏付けるようなシーンが多くなってしまうのは否めませんが、イラク戦争の終結宣言が出されてからまだ4年。アメリカで第二次大戦を両陣営の視点を冷静に扱う映画が作られるまでどのくらいの時間を要したか(奇しくもイーストウッドは『父親たちの星条旗』(2006)、『硫黄島からの手紙』の監督でもある)、ベトナム戦争を両陣営の視点から冷静に扱った映画が今までどのくらい作られたか、を考えると、現時点ではこれが限界なのだろうな、と感じます。

一方で、サミー・シェイク演じるムスタファというシリア人のドラグノフ狙撃銃を持ったスナイパーとの射撃対決から、クライマックスのイラク民兵の総攻撃を建物に立てこもって少人数で待ち受けるシーンは非常に西部劇的、マカロニウエスタン的で、これは確実に意識して作ってるだろうな、というのが感じられます。というか、そもそも、現代の西部劇が戦争映画なのかもしれません。

また、エンドロールで流れる音楽がエンニオ・モリコーネが作曲した『続・荒野の1ドル銀貨』(1965)の劇中曲の引用です。これがマカロニウエスタンの音楽であるという一事をもって、この映画で流すのを受け入れ難い、なんていう寝ぼけたことを言っているバカ方がいらっしゃいましたが、『続・荒野の1ドル銀貨』の映画のテーマと、これが流れたシーンを知っていれば、そういう感想はでないはず。ちなみにこの楽曲のタイトルは「Funeral」葬送です。

ぼくのtwitterを見ている方はご存知だと思いますが、ぼくはペルシア語が少しできたりする関係で、イスラム思想を割と身近に感じており、そういった点でこの映画楽しめるかなぁ、とちょっと不安だったのですが、本作では登場する現地の人々(例えば、店の主人を殺されて怒る町の人々、例えば、クライマックスシーンで迫ってくる民兵たち)を、「イスラム教徒」という記号ではなく、しっかり描こうとしているように感じられ、不安はまったくの杞憂でした。ほら、よく、「アッラーフ・アクバル」って言わせておけばいい、みたいな(第二次大戦映画では日本兵の「バンザーイ」とかに当たる)ステロタイプがあるじゃないですか。あれがまったくなかった。

ちなみに、前半でクリスたちに情報を提供しようとして殺される、シャイフ(長老)・アル・オボディを演じたナヴィド・ネガーバンはイラン出身の俳優、主人公のライバルとも言える狙撃兵ムスタファを演じたサミー・シェイクはエジプト出身の俳優です。

 American Sniper
(2014) on IMDb

記事検索
カテゴリ別アーカイブ
【PR】
このサイト経由でDVDを買ったりするとポイントが貯められる。
日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス
タグクラウド
月別アーカイブ
livedoor プロフィール
  • ライブドアブログ