今日こんな映画観た

日本未公開・未ソフト化の超マイナー映画から、誰もが知っている超大作まで、映画についての鑑賞メモ。
基本的にストーリーは結末まで記しているため、ご注意ください。

C:Soviet_Union

ビクトル・トレグボヴィチ(1972)『バイカルの夜明け』

Dauriya
監督:ビクトル・トレグボヴィチ
出演:ヴィタリ・ソローミン、イェフィム・コペリャン、ミハイル・ココシェノフ、スヴェトラーナ・ゴロヴィナ、ピョートル・シェロホーノフ

【あらすじ】

第一部

1914年夏、ロシア東方のバイカル湖近くのダウリヤ地方にある小さなオルロフスキー村では、コサックのアタマン(隊長)であるエリセイ(イェフィム・コペリャン)の指導のもと、村人たちは日々の暮らしを送っていた。村にはロマン(ヴィタリ・ソロミン)という若者が暮らしていたが、彼の家族からは政治犯ワシーリー(ワシーリー・シェクシーン)が出ていたため、村の一部の者からは軽んじられていた。

狼狩りや隣村との草刈場をめぐる小競り合い、そして収容所からの脱走犯の捕獲騒動などの小さな騒動がありながらも、村では淡々と日常が送られていく。

ロマンにはダリヤ(スヴェトラーナ・ゴロヴィナ)という恋人がいたが、村で裕福な雑貨屋の息子アレクセイ(ウラジミール・ロセフ)も彼女に惚れていて、何かとロマンと敵対していた。麦の刈り入れが終わる頃、アレクセイの父はアタマンのエリセイを仲人に立て、ダリヤの父エピファン(ヒョードル・アジノコフ)に結婚を申し込む。それを受けるエピファン。

それを知ったロマンはダリヤに駆け落ちを提案するが、ダリヤはその提案を拒み、両親の言いつけに従い、アレクセイとの結婚を決めるのだった。村の教会で行われる結婚式の当日、村は祝福に湧いていたが、ロマンは一人物思いにふけっていた。そこにエリセイがロシアとドイツが開戦した、との知らせを持って帰ってくるのだった。

第二部

4年後、ロマンのおじで政治犯として収容されていたワシーリーは赤軍の極東方面司令官となり、村を出たロマンも彼の下で指揮官となっていた。折しも赤軍はセミョーノフ率いる反革命軍に対して劣勢に立っていた。ワシーリーは4年前オルロフスキー村で鍛冶屋として潜伏していたセミョーン(ユーリ・ソロミン)の進言を聞き入れ、セミョーノフ軍の機関車に対し、爆弾を積んだ列車を激突させる作戦を実行する。列車にはセミョーンとオルロフスキー村出身のフェドット(ミハイル・ココシェノフ)が乗り込んだ。セミョーンの犠牲によって作戦は成功するが、セミョーノフ軍の進撃は止まらない。

形勢不利と見たワシーリーは撤退を検討し、ロマンにチタの財政部にある軍資金を後方に移すよう命じる。しかし、前線から逃げ戻ってきた司令官が反乱を起こし、チタの財政部を襲撃。ロマンはフェドットの助けもあって、なんとか逃げ延びる。森に潜伏していたロマンをはじめとする赤軍部隊だったが、あるとき反革命派のコサックによって捕えられてしまう。ロマンは拘留された鉱山の収容所で同郷のミーシュカと再会。ダリヤと結婚したアレクセイの死を知らされる。

処刑されかけるフェドットとロマンだったが、間一髪のところで脱走に成功。ロマンはフェドットと逸れてしまうものの、ダリヤの住む家にたどり着き、介抱を受ける。回復を待ち、故郷の家に戻ったロマンだったが、アタマンのエリセイが逮捕にやってくる。何とか逃げ延びたロマンは、赤軍残党のコミューンでフェドットにも再会。残党を立て直し、鉱山を襲撃。白軍将校を捕縛し、軍勢を整える。

一方その頃オルロフスキー村に白軍の懲罰部隊が訪れ、革命軍に同情的だったかどでエリセイをむち打ちにし、ダリヤを逮捕して連れ去ろうとする。彼女の逮捕に抗議したロマンの父セベリヤン(ピョートル・シェロホーノフ)は殺されてしまう。そこにロマン率いる赤軍部隊進軍の知らせが届き、懲罰部隊は一目散に逃げ出してゆく。

村に着いたロマンは、ダリヤとの再会を喜ぶものの、父の死を目の当たりにし、部隊を率いて懲罰部隊を追って村を飛び出すのだった。

【感想】

監督のビクトル・トレグボヴィチの作品で日本で劇場公開されたのは本作のみ。というか、今回ブログを書くために調べるまで、本作が日本公開されていたのは知りませんでした。1935年に生まれ、ソビエト崩壊直後の1992年に亡くなった、ほぼ全生涯をソビエト時代に送った世代の映画監督です。

本作はソビエトウエスタンとしてしばしば紹介されるのですが、西部劇というより戦争映画という印象が強いです。まあ、ソビエトウエスタンの中でもいわゆる「東部劇」は赤軍の東方進出を描いた作品が中心なので、戦争映画との区分けがなかなか難しい、というか、そもそもあまり区分けに意味がない、という感じもあります。主人公のロマンが率いているのが騎兵隊だったり、馬で馳け廻るシーンが多いのはウエスタン的という感じはします。

本作は大きく第一部と第二部に分かれ、それぞれ1時間半ほど。全部で3時間の大作です。前半では古いコサック集落の生活が描かれ、封建主義的ながら牧歌的な生活がのんびりと描かれる中に、ロマンのおじワシーリーの存在や、政治犯の逃走と射殺などの不穏を感じさせる要素が散りばめられています。

一方の第二部は映画冒頭から大規模な銃撃戦あり、少人数の部隊による司令部襲撃ありの、最初っから最後までクライマックス状態の中で、アタマンの家父長的権威の崩壊や、コサック集落の変容、そして何より社会主義的正義に目覚めていくロマンの姿が描かれます。

正直、第二部だけでも十分映画として成立はしており、アクションやウエスタン要素はほぼ全て第二部に存在しています。と言って、第一部は蛇足かというとそんなこともなく、ここを丁寧に描いていることで第二部が活きてくる、というか、そういう存在です。また、単純に第一部で描かれる農村の風景はなかなかに美しい。

一方で第二部は第二部で、大規模な銃撃戦や爆弾を積んだ列車による突撃など、大規模なアクションシーンが目白押しで、こっちはこっちでそういう面白さもある、一粒で二度美味しい的な映画でもあります。まあ、当時の一般的な映画に比べると2倍の上映時間なので、どちらも描けたということもあるでしょうが。

本作は日本で劇場公開されているものの、今に至るまで日本ではVHSやDVDなどのソフト化は行われていません。しかし、幸いにもRUSCICO(ロシア映画カウンシル)から出ている海外版DVDに日本語字幕が収録されており、それが入手できれば全く問題なく日本語環境で見ることが可能です。

Dauriya (1972) on IMDb

ウラジミル・モティリ(1970)『Белое солнце пустыни』

The White Sun of the Desert
製作国:ソビエト連邦
上映時間:84分
監督:ウラジミル・モティリ
出演:アナトリー・クズネツォフ/スパルタク・ミシュリン/カキ・カヴサゼ/ニコライ・ガダヴィコフ

ベラルーシ出身のウラジミル・モティル監督によるソビエトウエスタン。舞台は中央アジアのカスピ海付近なのでレッド・ウエスタンではなく、いわゆる「イースタン」に分類される作品ですね。モティルが監督したソビエトウエスタンは管見の限りでは本作のみのようです。

赤軍を除隊したスーホフ(アナトリー・クズネツォフ)はひたすら故郷を目指して砂漠を歩いていると、砂漠に首まで埋められた一人の男(スパルタク・ミシュリン)を見つけます。男を助けてやるスーホフ。サイードというその男は、助けられたことを感謝するでもなく、これで父の仇を討たねばならなくなった、と言って不満顔。サイードを置いて砂漠を進むスーホフは、知り合いの赤軍部隊長から銃声で呼び止められます。彼の舞台はバスマチの首領であるアブドラ(カキ・カヴサゼ)を追っているのですが、アブドラが置き去りにした女たちの処遇に困っていたのでした。彼は、半ば押しつけるように、女たちの護衛をサイードに託して去っていくのでした。そこに銃声を聞いてサイードが現れます。スーホフ、サイードそして部隊からスーホフに付けられた若い兵士ペトルーハ(ニコライ・ガダヴィコフ)の3人は、女たちを村まで護衛してゆくことにするのでした。

数日後、村にたどり着いたスーホフは、女たちをペトルーハに託し、家路に付こうとします。しかし、村はアブドラの部下に見張られており、ペトルーハは捕まり、スーホフも銃を取り上げられてしまいます。部下たちの隙を突いて反撃するスーホフ。このまま去っては女たちがアブドラに殺されてしまうと考えたスーホフは、村に留まってアブドラを迎え撃つことにするのでした。

スーホフは助けた女たちに、彼女たちはソビエトによって解放されたのだから、もはや自由になったのだ、と説明しますが、女たちはいまいち理解できず、スーホフのことを新しいご主人様だと考えてしまいます。そんな女たちに困惑するスーホフ。一方、ペトルーハは女たちのひとり、ギュリチャタイに惚れ、求婚しますが、自分をスーホフの第一夫人だと認識している彼女とは話が噛み合ないのでした。

迎撃の準備をするなかで、スーホフとペトルーハは税官吏をしていたという初老の男、ペレシャーギン(パヴェル・ルスペカイェフ)と知り合いになります。機関銃を持つ彼は、ペトルーハのことを非常に気に入り、自分も仲間にしてくれるのなら機関銃を貸そう、と言い出しますが、妻の反対に合い、結局機関銃の話もなくなってしまいます。

やがて、村にアブドラ一味が踏み込んできます。機転を利かせ、一度はアブドラを捕らえたスーホフでしたが、見張りの隙を突いてアブドラは逃げ出し、ペトルーハが殺されてしまいます。スーホフは女たちを連れて地下通路から逃げ出し、タンクに立てこもります。銃弾も通らないタンクに業を煮やしたアブドラ一味は、ガソリンを撒いて火を掛けようとしますが、そこにサイードと、ペトルーハが殺されたことを知って立ち上がったペレシャーギンが助けにきます。このチャンスにタンクから出てきたスーホフも加わり、アブドラ一味の反撃を加えます。

やがて、アブドラはスーホフの銃弾に倒れます。やってきた赤軍部隊に女たちを託し、去ってゆくスーホフ。傍らのサイードに、敵討ちの助勢を申し出る彼でしたが、仇は自分ひとりの力で討つ、というサイードの言葉に、健闘を祈り、ひとり妻の待つ故郷を目指すのでした。

本作は『七発目の銃弾』(1974)と同じく、部隊長レベルの立場の赤軍兵士とバスマチの首領の戦いを描いた作品です。家に帰りたい、家に帰りたいとぼやきながらも、結局は女たちのために立ち上がるスーホフのキャラクターが非常に魅力的に描かれます。何というか、いい人。

戦闘シーンは少々地味なのですが、ダイナマイトによって船が爆発されるシーンもあったりして、アクション面もそれなりに楽しめる作品です。ただ、むしろ、女たちを助けたスーホフが、女たちから新しいご主人様だと認識されて困惑するシーンなど、そういった細かな文化差異からくる、くすりと笑えるシーンがいくつか盛り込まれており、そういった点が面白い作品と言えるかもしれません。

西部劇的には、老妻との平穏な生活を夢見ながらも、気に入った若者のために老妻の懇願を振り切って立ち上がるペレシャーギン、という熱いシーンが挿入されているのがよいですね。その結果は、少々ロシア的なペーソスを感じさせるものではあるのですが……

エドモンド・ケオサヤン(1967)『Неуловимые мстители』

The elusive avengers
製作国:ソビエト連邦
上映時間:78分
監督:エドモンド・ケオサヤン
出演:ヴィクトル・コシフ/ミハイル・メテルキン/ワシリー・ワシリエフ/ワレンチナ・クルデュコワ/ウラディミル・トレシシャロフ

アルメニア出身の監督エドモンド・ケオサヤンによるいわゆる「イースタン」の1作。本作はこの後続編が2作品作られており、3部作となっています。第2作が『四人の決死隊』(1969)(Новые приключения неуловимых)、第3作が『Корона российской империи или снова неуловимые』(1971)。第2作だけ邦題が付いていますが、どうやらこの作品のみ日本でテレビ放映されたことがあるようです。

以下、物語の結末まで記しているため、結末を知りたくない方はご注意ください。

故郷をリュトゥ(ウラディミル・トレシシャロフ)率いる白軍部隊に襲われ、父親を殺されたダンカ(ヴィクトル・コシフ)。彼は妹のクサンカ(ワレンチナ・クルデュコワ)、ジプシーのヤシュカ(ワシリー・ワシリエフ)、そして同じく孤児のヴァレルカ(ミハイル・メテルキン)とともにムスティテリ(復讐者)というグループを結成し、村から白軍が奪っていった牛を取り返すなど、ゲリラ的に抵抗運動を繰り広げていました。

ある日ダンカがスブルイェヴカの町を訪れていると、そこにリュトゥ率いる一団がやって来ます。リュトゥに見つかり鞭打たれるダンカ。彼は隠れ家に戻ると、ヴァレルカと相談し、様子見のためにクサンカを町に近い農民の家に送り込みます。しかし、折悪しく、近郊の村はリュトゥ一味に襲われ、クサンカもさらわれてしまうのでした。

故郷の町の生き残りであるモケイ神父から、クサンカがリュトゥがたむろする酒場の給仕として使われていることを知ったダンカたち。ヤシュカが芸人に扮装して酒場に潜り込み、うまく煽動してリュトゥの部下たちを泥酔させます。そこにダンカとヴァレルカが躍り込み、酒場を制圧。馬で逃げるリュトゥをダンカが追いかけ、銃で仕留めるのでした。

しばらくして、街道をゆく白軍の馬車を襲ったムスティテリの面々は、馬車に乗っていたのが白軍のリーダー、アタマンの旧友の息子で、彼がアタマンの元に部下として赴く途中だったことを知ります。ダンカは一計を案じ、彼に扮装してアタマンの元に潜り込むことに成功します。しかし、そこに死んだはずのリュトゥがやって来ます。アタマンはリュトゥの話をすぐには信じませんが、そこへアタマンの旧友のコサックがやって来てしまったため、ダンカの偽装はバレてしまい、彼は牢に閉じ込められてしまいます。

一方、協力者からアタマンの旧友のコサックがやって来るという情報を得たヤシュカとヴァレルカは、その夜、牢に捕えられていたダンカを救出することに成功します。逃走するムスティテリの面々は、白軍の列車を奪います。激しい銃撃戦の末、ダンカは今度こそリュトゥを倒し、列車は燃え盛る橋を間一髪で抜け、彼らは逃走に成功します。

その後、赤軍のブジョーニー司令官と面会したムスティテリの4人は、ついに正式に赤軍の軍人として認められるのでした……というお話。

赤軍と白軍の内戦時代を背景にしたいわゆる「東部劇」です。子どもが主人公ということもあり、はじめは子ども向けの映画なのかとも思っていたのですが、いきなり父親が射殺されたり、鞭打たれたりとなかなかハードな部分もあり、大人が見ても楽しめる、というより、大人向けの娯楽映画です。

序盤でリュトゥに鞭打たれたダンカが、逃げ出すときにしっかりとリュトゥに鞭打ちかえしていたり、酒場での乱闘シーンの中で銃撃でバーの中の酒瓶が軒並み割れたりと、セオリー的な部分をしっかり押さえた演出が楽しい。また、ダンカが鞭打たれるのを見て、彼に同情して酒場での乱闘に協力してくれる旅芸人のブバ・カストルスキーというおじさんがいるのですが、彼の演技もなかなかコミカルで楽しめます。

クライマックスの列車と並走する馬での銃撃戦はかなり本格的で、その後燃え盛る木橋を列車が走り抜けるシーンと合わせてかなり盛り上がります。ただ、銃撃戦と木橋を走り抜けるシーンは合成などは使っていなさそうなのですが、ダンカとリュトゥが列車と馬上から撃ち合うアップのシーンだけ、なぜか明らかに背景が合成されており、ちょっと残念でした。

ラスト、彼らが正式な赤軍として認められるシーンは少々蛇足感がありましたが、やはり正規軍でない子どもたちが白軍と戦う、という話のまま終わらせると政治的に少々問題があったのでしょうかね。

タイトルの『Неуловимые мстители』は「なかなかつかまらない復讐者たち」の意味で英語タイトルはその直訳のようです。

ニキータ・ミハルコフ(1974)『光と影のバラード』

Свой среди чужих, чужой среди своих
製作国:ソ連
上映時間:95分
監督:ニキータ・ミハルコフ
出演:ユーリー・ボガトイリョフ/セルゲイ・シャクーロフ/ニキータ・ミハルコフ/アレクサンドル・ポロホフシュチコフ/アレクサンドル・カイダノフスキー

以前『七発目の銃弾』(1974)をご紹介したときにも書きましたが、1970年代から80年代初頭にかけてのソビエトでは、中央アジアやシベリアなどの辺境を舞台とした西部劇風の映画、いわゆる「イースタン」が盛んに作られました。本作もその1本なのですが、後にソビエトを代表する映画監督のひとりでもあるニキータ・ミハルコフ監督の作品ということもあり、日本では「イースタン」映画の中で恐らく唯一ソフト化されており、もっとも見る機会の多い作品と言えるでしょう。

 1920年代の激動のロシアを舞台に、白軍ゲリラと赤軍の闘争を描いたアクション。理想に燃える革命派のリーダーの活躍を中心に、叙情とアクションを適度に配したミハルコフの監督第二作。

革命成功の知らせを聞き、喜ぶ青年将校たち。そして数年の時が経ち、彼らも地方で党の要職についていました。騎兵隊長だったザベーリン(セルゲイ・シャクーロフ)などは、書類仕事に追われる毎日に愚痴をこぼします。昔は良かった、と。そんなとき、食料調達のための50万ルーブルの金を輸送しなければならない、という難題が持ち上がります。チェーカーのリーダーであるクングロフ(アレクサンドル・ポロホフシュチコフ)は、革命時代からの同志シーロフ(ユーリー・ボガトイリョフ)を輸送責任者に任命するのでした。

翌朝、シーロフの部屋で顔を潰された死体が発見されます。ひとまず死体をシーロフと考えた彼らは、敵の隙を突き、少人数で金を輸送することにします。しかし、輸送していた列車が白軍のレムケ大尉(アレクサンドル・カイダノフスキー)率いるゲリラに襲撃され、金を奪われてしまいます。ただ、白軍の作戦が成功したと思われたのも束の間、つづいて列車はボリロフ(ニキータ・ミハルコフ)率いる無政府主義ゲリラに襲撃され、金の入ったバッグも奪われてしまうのでした。

一方、とある町で意識を失っているところを発見されたシーロフでしたが、ザベーリンやクングロフに敵のスパイなのではないかと疑われ、射殺されることになってしまいます。護送中、自分をさらった男のことを思い出し、脱走するシーロフ。彼は真実を探り出し、金を取り戻すためにボリロフの一味の潜り込むのでした……というお話。

疑われた男が身の潔白を証明するために単身敵の懐に飛び込む、という下位レイヤーの物語と、チェーカー内部の裏切り者探索という上位レイヤーの物語がうまく噛み合っており、なかなかスリリングな展開の映画です。『七発目の銃弾』が比較的一本道の展開だったことを考えると、おそらく「イースタン」の中でも本作は政治的なテーマにウェイトを置いた作品と思われます。

また、オープニング部分にアレクサンドル・グラドスキーによる「船の歌」をバックに革命の成功を喜ぶ若き日の主人公たちのシーンを入れたことによって、登場人物に感情移入しやすくなっており、クライマックスの男泣きの展開を盛り上げています。ちょっと叙情に流されすぎ、という感もありますが、杜琪峰(ジョニー・トー)っぽいロマンがあります。

監督が出演もしている西部劇というと、アルフィオ・カルタビアーノ監督の『拳銃のバラード』(1967)を連想しますが、ニキータ・ミハルコフはもともと俳優から監督になった人なので、悪党の親玉を説得力をもって演じています。マカロニウエスタンだと、フェルナンド・サンチョあたりがやっても良さそうな役ですが、ミハルコフ監督はどちらかというと『豹/ジャガー』(1968)のフランコ・ネロっぽい感じがありました。

アリ・ハムラーエフ(1974)『七発目の銃弾』

Седьмая пуля
製作国:ソビエト連邦
上映時間:84分
監督:アリ・ハムラーエフ
出演:スイメンクル・チャクモラフ/ディロラム・カンバロバ/ハムザ・ウマラフ

アメリカで制作された西部劇は世界的な流行となり、イタリアや日本でも西部劇を模倣した映画が作られました。一方で、当時政治的にアメリカと対立していたソビエト連邦は例外かというと、そんなことはなく、ソビエトでも60年代から70年代を中心に、西部劇を模倣した映画が数多く制作されました。そんな一連の映画はソビエトウエスタン、あるいは「イースタン」と呼ばれます(ソビエト製西部劇の多くは、モスクワから見て東方の土地を舞台としたため)。本作もそんな「イースタン」の一本です。

日本ではなかなか見られない作品ですし、本ブログが力を入れている西部劇でもあるので、以下では物語の結末まで書いています。

中央アジアのウチリガンに駐屯する赤軍部隊の隊長マクスーモフ(スイメンクル・チャクモラフ)。彼が部隊を離れている間に、歩哨中の兵士ウマルの礼拝を巡るいざこざから反乱が起こり、政治委員は殺され、部隊の兵士は殺されるか、土地の匪賊であるハイルーラ(ハムザ・ウマラフ)のもとに逃亡してしまいます。帰ってきたマクスーモフは、生き残っていた部下のハシーモフから事の顛末を聞かされます。

そんな時、一人の少女(ディロラム・カンバロバ)がマクスーモフのもとを訪ねます。アイグールと名乗る少女は、ハイルーラを殺して自分と結婚してくれと迫ります。正体を問い質すマクスーモフに対し、翌日に谷に来い、と言い捨てて少女は去っていきます。

ハシーモフと村人にウチリガンの守備を任せたマクスーモフは、単身谷に赴きます。そこにはアイグールを引き連れたハイルーラの部下たちが待ち受けていました。自ら捕虜となり、自分をハイルーラのもとに連れていくように迫るマクスーモフ。

移動中に一行はイスマイル(タルガト・ニグマトゥリン)という男に出会います。マクスーモフが乗った馬を見て、兄の仇とマクスーモフに襲いかかるイスマイル。実はマクスーモフの馬はかつてハイルーラから奪いとったものでしたが、そのハイルーラがイスマイルの兄を殺して奪いとったものだったのでした。

いったんはイスマイルを追い払った一行でしたが、少し進んだ村で再びイスマイルと手下たちに襲われます。マクスーモフと彼を護送していた隊長は一時的に協力し、何とか馬車で逃げ出しますが、追いつかれてマクスーモフとアイグールは捉えられてしまいます。殺されそうになるマクスーモフでしたが、イスマイルの母が馬を奪った男の顔を見ていたことで誤解が解け、イスマイルは本当の仇であるハイルーラを殺すためにマクスーモフに協力することにします。

そのとき、マクスーモフのもとにハシーモフがやって来て、ウチリガンがハイルーラに占領されたと知らせます。イスマイルに部下を集めて翌日ウチリガンを襲うように告げたマクスーモフは、自らウチリガンに赴きます。

ウチリガンでかつての部下に再会したマクスーモフは、革命の志を忘れたのかと部下を挑発し、政治委員を殺して反乱を先導したアフマドを射殺します。マクスーモフはハイルーラの部下に捕らえられ、牢に閉じ込められます。

その夜、マクスーモフを助けだすべきだと主張するシュフラートと、兄アフマドの仇をとると主張するサグドラの間で喧嘩が発生するなど、マクスーモフの旧部下たちが動揺します。

翌朝、ハイルーラは部下を説得することを条件にマクスーモフを釈放しようと取引を持ちかけますが、マクスーモフはそれを拒否します。怒ったハイルーラはサグドラをマクスーモフの見張りに立たせますが、そのとき、イスマイル一味がウチリガンを襲撃します。マクスーモフはイスマイルから渡された銃でサグドラを殺すと、銃撃戦のすえアイグールを連れて逃げ出したハイルーラを川まで追い、帽子に隠していた「七発目の銃弾」でついに彼を斃します。

そこに馬に乗ったアイグールが駆けつけますが、彼女は援軍にやってきた警備隊によって誤殺されていたのでした。マクスーモフは涙を振り絞って警備隊を呼びつけると、アイグールの亡骸を抱いてその先頭を走るのでした……というお話。

イタリアで作られたマカロニウエスタンの多くはアメリカ西部を舞台としていますが、本作も含め、多くの「イースタン」はソビエト国内の辺境を舞台として物語が展開します。そういう意味ではイタリアよりも日本で作られた西部劇類似映画に近いものがあると言えます。

西部劇とムスリム、というそうそう結びつかなそうな二つの要素をうまく結びつけてストーリーを作っているあたりは、さすが国内に多くの民族、宗教を抱えていたソビエトならでは、という印象。牢から脱出する際、マクスーモフが礼拝中のサグドラを撃ち殺す描写にはびっくりしましたが。

マクスーモフが部下に赤軍魂を説くシーンは少々堅苦しさも感じましたが、まぁ、ジョン・ウェインが西部魂を語るのと同んなじようなものだと言えばそんな気もします。

また、西部劇のキモのひとつである銃撃戦のシーンはなかなか凝っており、カスバのような入り組んだイスラム都市で繰り広げられる大規模な銃撃戦はなかなか楽しい。機関銃がかなりたくさん出てくるのも見どころ(ハイルーラによるとイギリス製らしく、彼の一味がイギリスの支援を受けていることが匂わされます)。

音楽はマカロニウエスタンに比べると少々盛り上がりに欠ける感じがありますね。

マクスーモフを演じたスィメンクル・チャクモラフが非常にリー・ヴァン・クリーフに似ており、まるで後期のクリーフのマカロニウエスタンを見ているような印象も、ちょっとだけ受けました。キルギス出身の俳優さんのようです。

また、本作で悪役となっている勢力は「バスマチ」と呼ばれる反革命勢力で、ソビエト・ウエスタンでは悪役としてしばしば登場した勢力だそうです。

本作のタイトルですが、マクスーモフが使っている銃が七発装填可能なナガンM1895で、それに由来する、という話もあるのですが、物語中でマクスーモフが最後に使っているのはイスマイルから渡された拳銃だし、ハイルーラを斃す前に銃が弾切れになって、映画冒頭で帽子に隠していた銃弾を装填しているので、このとき彼が使っていた銃は六連装なんじゃないかなぁ、と。そうしないと八発目の銃弾になっちゃいますし。ぼくの目では、彼が使っていた銃がナガンなのかは残念ながら分かりませんでした。

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