今日こんな映画観た

日本未公開・未ソフト化の超マイナー映画から、誰もが知っている超大作まで、映画についての鑑賞メモ。
基本的にストーリーは結末まで記しているため、ご注意ください。

C:France

ダミアーノ・ダミアーニ(1975)『ミスター・ノーボディ2』

Un genio, due compari, un pollo
製作国: イタリア/フランス/西ドイツ
監督: ダミアーノ・ダミアーニ
出演: テレンス・ヒル/ロベール・シャルルボア/ミュウ=ミュウ/パトリック・マッグーハン

【あらすじ】

白人によるインディアンの迫害が続いていた西部開拓時代、ジョー・サンクス(テレンス・ヒル)という凄腕だが怠け者のガンマンがトゥーカムケアリの町にやって来る。町の顔役であるドク・フォスター(クラウス・キンスキー)をからかって小金をせしめていた彼だったが、アメリカ軍のペンブロック大佐(ジャン・マルタン)がクリストバル砦に向かっているという話を聞き、儲け話を思い付く。

旧知の相棒ビル(ロベール・シャルルボア)とルーシー(ミュウ=ミュウ)と再開したジョーは、ビルを大佐に変装させてクリストバル砦に送り込む。狙いは砦にある30万ドル。しかし、カボット少佐(パトリック・マッグーハン)はすぐにビルの正体に気づく。牢屋に入れられるビルとルーシー。砦に忍び込んだジョーはカボットと面会し、訳の分からないことを言って捕らえられるが、その際、わざと椅子に金粉をつけておくのだった。その後ジョーは砦の牢から脱出する。

金粉に気づいたカボットは、山に金鉱があると思い、インディアンに対し、豊かな狩場と金鉱のある荒れ野を交換することを提案する。交換は成立するが、そこにあるのは金鉱ではなく黄鉄鉱だと教えられたカボットは、騙されていたことに気づく。

依然30万ドルを狙っているジョーの裏をかこうと、ジョーに騙されたと怒っているビルを巻き込み、カボットは偽の紙幣と本物の紙幣を入れ替え、護送中にジョーに襲撃させる。しかし、ビルはその隙をついて30万ドルを持ち逃げする。それに気づいて追いかけるジョー。彼らは30万ドルの入った鞄を奪い合ううち、発破中の岩山に入り込んでしまう。爆発によって、彼ら二人もろとも30万ドルは塵となったのだった……と思いきや、実は発破すらジョーの仕込んでいた仕掛けだった。30万ドルを手にしたジョーは、それをインディアンの酋長に渡し、アメリカと戦うための資金にするのだった。

【感想】

この映画、明らかにタイトルで損しているところありますよね。普通のマカロニウエスタンとか、風来坊系統のタイトルだったら、ああ、テレンス・ヒル主演の後期コメディ・マカロニウエスタンの一作か。でもなんでモニュメント・バレーで撮影なんて豪華なことを……くらいの感じなんですが、『ミスター・ノーボディ』(1973)の続編か何かだと思って、期待して見るとハードルが上がっている分残念な気持ちに。

本作のオープニングシーンはセルジオ・レオーネが演出していることが知られていますが、明らかに他の部分とテイストが違うのが面白い。もちろん、ほかのパートが面白くないということではないのですが、カラーがだいぶ異なっています。そして、このオープニングはあまりストーリーとは直接的な関係はなさそうな感じ。

ストーリーは筋金入りの左派であるダミアーノ・ダミアーニらしい骨格があると言えばあるのですが、彼のスタイルとこういったタイプのコメディはしっくり来ているとは言いづらく、『群盗荒野を裂く』(1966)ほどの冴えは感じられません。

例によってクラウス・キンスキーはなんか一人でキンスキーっぽさというか異彩を放っているのですが、序盤に顔見せで登場して以降、一切登場しません。おそらくアメリカロケには同行していないと思われます。

トニーノ・ヴァレリ(1972)『ダーティ・セブン』

Una ragione per vivere e una per morire
製作国: イタリア/フランス/西ドイツ/スペイン
監督: トニーノ・ヴァレリ
出演: ジェームズ・コバーン/バッド・スペンサー/テリー・サヴァラス/ラインハルト・コルデホフ

【あらすじ】

南北戦争中、食い詰め者のイーライ(バッド・スペンサー)は、盗みをしたところを北軍兵に見つかり、もう一人の男とともに逮捕され、護送される。もう一人の男こそ、南軍に砦を明け渡し、降伏したペンブローク(ジェームズ・コバーン)大佐だった。北軍の砦に着いたペンブロークはバラード少佐(ホセ・スアレス)に面会し、砦の奪回のために数人の男たちを貸して欲しいと頼む。そんなペンブロークに与えられたのは、イーライを始めとする6人の曲者揃いの死刑囚、それに、ペンブロークを護送する際、彼の十字架を盗んだブレンド(ラインハルト・コルデホフ)軍曹だった。

反抗的な男たちに対し、ペンブロークは砦の地下には50万ドルの黄金が埋めてある、という秘密を明かす。途中、食料調達に訪れた民家でマクアイバース(ガイ・メーレス)が殺されたり、仲間割れの危機を迎えたりと色々ありつつも、残った7人は砦のそばまでたどり着く。

南軍兵に成りすましたイーライが砦に入り、彼の手引きによってペンブロークたちは砦へと潜り込む。その際、ある南軍軍曹から、なぜペンブロークが砦を南軍のワード(テリー・サヴァラス)に明け渡したのかが語られる。ワードはペンブロークの息子を人質に取って開城を迫った。そしてペンブロークが降伏したにも関わらず、その息子を銃殺していたのである。

砦での銃撃戦によって南軍兵もペンブロークの仲間たちも一人また一人と死んでゆき、ついにはペンブローク、イーライ、ワード、そしてブレンド軍曹だけが生き残った。ワードに歩み寄るペンブロークだったが、金の話が嘘だと気付いたブレンドはペンブロークを殺そうとする。が、既のところでイーライがブレンドに機関銃を発砲。一方、ワードは「降伏兵は正当に処遇しなければならない」という規則を盾に降伏しようとするが、ペンブロークは息子の仇である彼を許すはずもなく、ワードはペンブロークによって刺し殺されるのだった。

【感想】

師匠筋にあたる(なにかとこう書かれてしまうのが、まずもってヴァレリの可哀想なところだとは思う)セルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』(1971)にも出演したジェームズ・コバーンを主演に据えて、南北戦争を真正面から描こうとしたような、別にそんなこともなく、単なる復讐劇に南北戦争が絡んだだけ、といういつものマカロニウエスタンを作ろうとしたような、そんな作品。

面白くないわけではない(特にスペンサーが南軍の砦に忍び込んだあたりからはなかなかテンポ良く見せてくれる)のだけれど、いかんせんそれまでの段取りでもたついている感がなくもありません。上記のスペンサーが砦に忍び込む時点で映画の3/4は終わっているので、大半がなんというかもたついている印象があります。

さすらいの一匹狼』(1966)や『怒りの荒野』(1967)、『復讐のダラス』(1969)みたいな割とシンプルなマカロニウエスタンは(粗はありつつも)上手にまとめて素晴らしい作品に作り上げるヴァレリですが、本作はちょっとテイストが合わなかったのかな、という印象もあり。

砦のロケに使われたセットは『盲目ガンマン』(1972)なんかでもちょこっと出てきた砦と同じものですかね。

エンツォ・バルボーニ(1973)『くたばれカポネ』

Anche gli angeli mangiano fagioli
製作国: イタリア/フランス/スペイン
監督:エンツォ・バルボーニ(E・B・クラッチャー)
出演:ジュリアーノ・ジェンマ/バッド・スペンサー/ロバート・ミドルトン/ビル・ヴァンダース

【あらすじ】

1920年代のニューヨーク、覆面レスラーのチャーリー(バッド・スペンサー)はマフィアのボス、アンジェロ(ロバート・ミドルトン)から試合での八百長を命じられる。しかし、試合中、頭に血が上ったチャーリーは対戦相手を倒してしまう。ソニー(ジュリアーノ・ジェンマ)の助けもあり、チャーリーは試合会場から脱出する。

一方ソニーはチャーリーの度胸と腕っ節を見込み、相棒になろうとまとわりつく。チャーリーの顔が割れていないことをいいことに、アンジェロの部下になることに成功する2人だったが、バーの用心棒をやれば上院議員をノシてしまい、みかじめ料の取り立てに行けば生来の人の良さが災いして、逆に貧しいイタリア人一家に金を恵んでやる始末。ボスへの上納金に困った2人は、敵対するコロシモ・ファミリーのギャングから金を巻き上げてしまう。

彼らがコロシモ・ファミリーにちょっかいを出したことにより、アンジェロのファミリーとコロシモ・ファミリーは戦争状態に入ってしまう。ソニーは金を巻き上げた相手のギャングの暗殺を、チャーリーは上院議員を暗殺し、コロシモ・ファミリーの仕業に見せかける仕事をボスから言い渡される。しかし、根っからの悪人ではない2人が悩んでいるうちに、何者かによってギャングは殺され、上院議員も死んでしまう。

そこに凄腕の刑事マッキントッシュ(ビル・ヴァンダース)が登場し、2人は捕まってしまうが、潜入捜査官だと嘘をつき、2人は釈放される。アンジェロのところに戻った2人だったが、イカサマがばれ、ほうほうのところで逃げだすが、助けてやったイタリア人家族の元を訪れたチャーリーがアンジェロに捕まってしまう。

埠頭でリンチにかけられそうになるチャーリーだったが、間一髪のところでソニーが助けに入る。あとはいつもの殴り合いからの目出度しめでたし。

【感想】

原題の「Anche gli angeli mangiano fagioli」は、日本語にすると「天使たちですら豆を食べる」となります。直接的には映画序盤に登場する救世軍の女性のセリフなのですが、本作のマフィアのボスも天使を意味するアンジェロという名前です。一方で、マカロニウエスタン・ファンならばジェンマが出演している本作でエンジェルと言われて真っ先に思い出すのは彼が『夕陽の用心棒』(1965)で演じたエンジェル・フェイスでしょう。そのエンジェルですら豆を食べる、となると、本作はジェンマをスペンサーと組ませて作った、ヒル&スペンサー映画みたいな映画だよ、というバルボーニからのメッセージを読み取るのは考えすぎでしょうか。

本作は基本的には、バルボーニ監督がいわば生みの親であり、その後も何作品かに携わっているヒル&スペンサー映画の派生というか、亜流として考えると分かりやすい作品です。一方で、ヒル&スペンサー映画では基本的には人は死なないのに対し、本作は20年代のニューヨークという舞台設定のせいか、前年に公開された『ゴッドファーザー』(1972)から影響を受けたと思われる暗殺シーンも一応は存在しており、ほんの少しカラーが異なる印象も受けます。本当にほんの少しですが……

映画序盤、ジェンマがカラテ道場のようなところで掃除夫をしているシーンがあるのですが、この時代のイタリア映画のこういうシーンって、なんでこう日本と中国が清々しいまでにごっちゃになっているんでしょうね…… 面白いけど。

クリス・ルノー/ピエール・コフィン(2010)『怪盗グルーの月泥棒 3D』

Despicable Me
製作国:アメリカ
上映時間:95分
監督:クリス・ルノー/ピエール・コフィン
出演(声):スティーヴ・カレル/ミランダ・コスグローヴ/デイナ・ゲイアー/エルシー・フィッシャージェイソン・シーゲル

第3作にあたる『ミニオンズ』(2015)の公開を間近に控えているクリス・ルノー、ピエール・コフィン両監督によるCGアニメーション映画。2人ともフランス人のようで、本作のスタッフにも多くのフランス人の名前が見られますが、映画自体はアメリカ映画のようです。

 世紀の大泥棒を目指す男が、ある悪だくみから孤児の三姉妹を利用しようとするものの、思いがけず愛情が芽生えてしまうさまをユーモラスに綴るハートウォーミング・アドベンチャー・コメディ。監督は、共にこれが長編デビューのクリス・ルノーとピエール・コフィン。
 大泥棒グルーの生きがいは、世界をあっと驚かせる物を盗むこと。そのために、バナナから作られた怪盗軍団“ミニオン”を従え、涙ぐましい努力を続けていた。そんなある日、ピラミッドが盗まれ大ニュースに。悔しがるグルーは、負けてなるものかと、月を盗むことを決意する。ところが、宿敵ベクターの横やりで作戦失敗の危機に。そこで、ベクターを陥れるため、養護施設で暮らす三姉妹、マーゴ、イディアス、アグネスを利用することを思いつく。こうして三人を養女に迎え入れたグルーだったが…。

ミニオンってバナナから作られた怪盗軍団だったのかー。特に映画内でそれについて言及されてはいませんでしたが。以前『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)を見に映画館に出かけた際、予告編で流れていたミニオンたちのコミカルな動きに魅了されたのが本作を見てみたきっかけです。

怪盗グルー(スティーヴ・カレル)が、利用するために引き取った3人の子供たちに感化されて、優しい心を取り戻していく、というストーリーは王道ですが、王道だけに心地よく、面白い。そこにコメディアンとしてのミニオンのキャラクターが入ってくるので、常に大笑いしながら見ていられます。

それにしても、この何の説明もなく登場するミニオンというキャラクターが本当に面白い。これは彼らを主人公にした作品(『ミニオンズ』)が作られるのも納得で、公開が非常に楽しみです。

 Despicable Me
(2010) on IMDb

アスガー・ファルハディ(2009)『彼女が消えた浜辺』

درباره الی
製作国:イラン
上映時間:116分
監督:アスガー・ファルハディ
出演:ゴルシフテ・ファラハニ/タラネ・アリシュスティ/シャハブ・ホセイニ/ペイマン・モアディ

日本ではすでに『別離』(2011)、『ある過去の行方』(2013)と順調に新作が紹介されているアスガー・ファルハディ監督の本邦初紹介作品。監督作自体は本作の前に何本か撮っているようです。

 2009年のベルリン国際映画祭で監督賞に輝いたイラン映画。カスピ海沿岸の避暑地にバカンスにやって来たイランの中産階級の男女が、その中の一人の女性の突然の失踪をきっかけに、彼女の行方と原因を巡って混乱を来す中で、次第にさまざまな謎や問題が浮き彫りとなっていくさまを、イランならではの社会的事情を背景にミステリアスかつサスペンスフルに綴る。監督は、これが日本初登場のアスガー・ファルハディ。
 テヘランからほど近いカスピ海沿岸のリゾート地に週末旅行へとやって来たセピデーたち3組の家族。そこに、セピデーに誘われ、たった一人で参加した若い女性、エリがいた。セピデーには、エリに離婚したばかりの友人アーマドを紹介するという思惑があったのだ。しかし翌日、エリは海岸で忽然と姿を消してしまう。事故か、それとも何も言わず帰ってしまったのか。必死の捜索が進む中、唯一彼女と面識のあったセピデーさえ彼女の本名を知らず、誰もエリのことを何一つ知らなかったことが明らかとなってくるのだが…。

群像劇で、登場人物がそれぞれの思惑を持って、少しずつ嘘を付いてしまったために、本来そこまでややこしくないはずの話がどんどんこじれにこじれていく、というタイプの作品。お互い親族関係にある3家族が海辺にバカンスにやってくるのですが、そこにセピデー(ゴルシフテ・ファラハニ)に連れられて、彼女の子どもの保育園の先生をしているエリ(タラネ・アリシュスティ)も参加します。セピデーの思惑としては、ドイツに住んでいて久々に里帰りしたアーマド(シャハブ・ホセイニ)の奥さん候補として、彼女を紹介しようとしていました。

しかし、ペイマン(ペイマン・モアディ)の息子が海で溺れてしまい、皆でそれを助けたあと、エリが忽然と姿を消してしまっていることに気づきます。助けようとして溺れたのか、それとも帰ってしまったのか。登場人物が疑心暗鬼になるなか、エリを誘ったセピデーを始めとして、誰も彼女の本名(エリはイラン人の名前としては一般的ではなく、本名をもじった愛称)すら知らなかったことが判明します。

主要な登場人物がなかなか多く、さらに女性陣はヘジャブを被っているため、油断をすると誰が誰だかわからなくなりそうなところですが、性格がしっかり描き分けられており、混乱せずに見ていることができます。といっても、前半は誰と誰が夫婦なのかとか、誰が誰の子どもなのかいまいち分からないまま見ていましたが…… まぁ、それでもそこまで問題はない感じでした。

なかなかサスペンスフルな展開で、誰が本当のことを言っているのかとか、いったいエリはどうなってしまったのかとか、先が気になる展開が続き、中だるみもせずにラストまで話が展開していきます。

原題の「درباره الی」は「エリーについて」とか「エリーに関係すること」くらいの意味ですね。

allcinemaの解説では、イランならではの社会的事情、とありますが、確かに本作の重要な要素となる問題については、イランの現行法にはいろいろ不備はあるものの、イスラム法の原理に基づく国家としては、サウジアラビアなんかと比べると、女性国会議員の努力により、かなり改善(敬虔なムスリムから見ると堕落なのかもしれませんが)されてきている、ということを付言しておきます。本作のネタバレに関わるため、奥歯に物が挟まったような言い方しかできませんが。

 Kanojo ga kieta hamabe
(2009) on IMDb

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