Habemus Papam
製作国:イタリア
上映時間:105分
監督:ナンニ・モレッティ
出演:ミシェル・ピッコリ/イエルジー・スチュエル/レナート・スカルパ/ナンニ・モレッティ

代表作としては現時点ではカンヌ映画祭パルムドールを受賞した『息子の部屋』(2001)あたりが挙げられるのでしょうか。現代イタリアを代表する映画監督の一人として目されるナンニ・モレッティ監督が、カトリック法皇選出選挙であるコンクラーベをテーマに、メガホンを取った作品。

 「親愛なる日記」「息子の部屋」のナンニ・モレッティ監督がカトリックの総本山“ヴァチカン”を舞台に、人間味溢れる聖職者たちを登場させて描くヒューマン・コメディ。意図せずして新法王に選ばれ、プレッシャーのあまり逃亡を図ってしまった真面目で気弱な主人公が、ローマの街で束の間の人間らしい時間を過ごすさまをシニカルな視点を織り交ぜつつユーモラスに綴る。主演は「昼顔」「美しき諍い女」の名優ミシェル・ピッコリ。
 ある日、ローマ法王が逝去した。システィーナ礼拝堂には各国の枢機卿が集結し、次期法王を決める選挙“コンクラーヴェ”が開催されることに。投票は新法王が決まるまで何度でも繰り返される。誰もが法王という重責に尻込みし、本命視されていた枢機卿たちも規定の票数を獲得するには至らず、時間ばかりが過ぎていく。そんな中、天の配剤か運命の悪戯か、まったく予想されていなかった無名の枢機卿メルヴィルが不意に新法王に決定してしまう。その結果に誰よりも驚いたのはメルヴィル自身だった。そしてパニックに陥った彼は、新法王のスピーチを待ちわびる大群衆の前に現われることが出来なくなってしまう。困り果てた報道官たちは、素性を知らないセラピストに診察してもらうため、極秘裏に法王をヴァチカンの外に連れ出すことに。ところがメルヴィルは、彼らの隙を突いてローマの街へと逃げ出してしまうのだった。

マカロニウエスタンなどを見ていてさえ、バチカンをその懐に抱え込んでいるイタリア人ならではの、カトリックに対する微妙で複雑な距離感を感じることがあるのですが、本作のストーリーからも、まさにそんな感じを受けます。明らかに『ローマの休日』(1953)を意識した邦題からも見て取れるように、(少なくとも)日本では本作をちょっと笑えて暖かな気持ちが残るコメディ、みたいな売り方をしていた記憶がありますが、なかなかどうして、そう一筋縄ではいかない展開の映画でした。ハリウッドではこういう映画は取らないだろうな、というか、良くも悪くもイタリア人らしいな、というか。

逃げ出してしまった法王(ミシェル・ピッコリ)が紛れ込んだのはチェーホフ劇を上演する一座の中で、なにやらチェーホフの戯曲のストーリーも映画のストーリーに暗示的に影響を示しているようにも思えたのですが、残念ながらぼくはチェーホフは未読のため、そのあたりの仄めかしを理解できていない可能性があります。読まなきゃ。

精神科医(ナンニ・モレッティ)の発案で枢機卿たちが始めるバレーボール大会のエピソードや、スイスの衛兵が法王の影武者になる展開など、そこここでユーモラスなシーンもあるのですが、クライマックスも含め、ストーリー的には投げっぱなしで不安定な状態に観客を置き去りにしてしまう、という感じの映画です。そのあたりに、現在のイタリア人のカトリックに対する距離感を見て撮るのは穿ち過ぎでしょうか。

原題の「Habemus Papam」は「私たちは法王を持っている」、ようするに「私たちには法王がいる」くらいの意味合いです。