The White Sun of the Desert
製作国:ソビエト連邦
上映時間:84分
監督:ウラジミル・モティリ
出演:アナトリー・クズネツォフ/スパルタク・ミシュリン/カキ・カヴサゼ/ニコライ・ガダヴィコフ

ベラルーシ出身のウラジミル・モティル監督によるソビエトウエスタン。舞台は中央アジアのカスピ海付近なのでレッド・ウエスタンではなく、いわゆる「イースタン」に分類される作品ですね。モティルが監督したソビエトウエスタンは管見の限りでは本作のみのようです。

赤軍を除隊したスーホフ(アナトリー・クズネツォフ)はひたすら故郷を目指して砂漠を歩いていると、砂漠に首まで埋められた一人の男(スパルタク・ミシュリン)を見つけます。男を助けてやるスーホフ。サイードというその男は、助けられたことを感謝するでもなく、これで父の仇を討たねばならなくなった、と言って不満顔。サイードを置いて砂漠を進むスーホフは、知り合いの赤軍部隊長から銃声で呼び止められます。彼の舞台はバスマチの首領であるアブドラ(カキ・カヴサゼ)を追っているのですが、アブドラが置き去りにした女たちの処遇に困っていたのでした。彼は、半ば押しつけるように、女たちの護衛をサイードに託して去っていくのでした。そこに銃声を聞いてサイードが現れます。スーホフ、サイードそして部隊からスーホフに付けられた若い兵士ペトルーハ(ニコライ・ガダヴィコフ)の3人は、女たちを村まで護衛してゆくことにするのでした。

数日後、村にたどり着いたスーホフは、女たちをペトルーハに託し、家路に付こうとします。しかし、村はアブドラの部下に見張られており、ペトルーハは捕まり、スーホフも銃を取り上げられてしまいます。部下たちの隙を突いて反撃するスーホフ。このまま去っては女たちがアブドラに殺されてしまうと考えたスーホフは、村に留まってアブドラを迎え撃つことにするのでした。

スーホフは助けた女たちに、彼女たちはソビエトによって解放されたのだから、もはや自由になったのだ、と説明しますが、女たちはいまいち理解できず、スーホフのことを新しいご主人様だと考えてしまいます。そんな女たちに困惑するスーホフ。一方、ペトルーハは女たちのひとり、ギュリチャタイに惚れ、求婚しますが、自分をスーホフの第一夫人だと認識している彼女とは話が噛み合ないのでした。

迎撃の準備をするなかで、スーホフとペトルーハは税官吏をしていたという初老の男、ペレシャーギン(パヴェル・ルスペカイェフ)と知り合いになります。機関銃を持つ彼は、ペトルーハのことを非常に気に入り、自分も仲間にしてくれるのなら機関銃を貸そう、と言い出しますが、妻の反対に合い、結局機関銃の話もなくなってしまいます。

やがて、村にアブドラ一味が踏み込んできます。機転を利かせ、一度はアブドラを捕らえたスーホフでしたが、見張りの隙を突いてアブドラは逃げ出し、ペトルーハが殺されてしまいます。スーホフは女たちを連れて地下通路から逃げ出し、タンクに立てこもります。銃弾も通らないタンクに業を煮やしたアブドラ一味は、ガソリンを撒いて火を掛けようとしますが、そこにサイードと、ペトルーハが殺されたことを知って立ち上がったペレシャーギンが助けにきます。このチャンスにタンクから出てきたスーホフも加わり、アブドラ一味の反撃を加えます。

やがて、アブドラはスーホフの銃弾に倒れます。やってきた赤軍部隊に女たちを託し、去ってゆくスーホフ。傍らのサイードに、敵討ちの助勢を申し出る彼でしたが、仇は自分ひとりの力で討つ、というサイードの言葉に、健闘を祈り、ひとり妻の待つ故郷を目指すのでした。

本作は『七発目の銃弾』(1974)と同じく、部隊長レベルの立場の赤軍兵士とバスマチの首領の戦いを描いた作品です。家に帰りたい、家に帰りたいとぼやきながらも、結局は女たちのために立ち上がるスーホフのキャラクターが非常に魅力的に描かれます。何というか、いい人。

戦闘シーンは少々地味なのですが、ダイナマイトによって船が爆発されるシーンもあったりして、アクション面もそれなりに楽しめる作品です。ただ、むしろ、女たちを助けたスーホフが、女たちから新しいご主人様だと認識されて困惑するシーンなど、そういった細かな文化差異からくる、くすりと笑えるシーンがいくつか盛り込まれており、そういった点が面白い作品と言えるかもしれません。

西部劇的には、老妻との平穏な生活を夢見ながらも、気に入った若者のために老妻の懇願を振り切って立ち上がるペレシャーギン、という熱いシーンが挿入されているのがよいですね。その結果は、少々ロシア的なペーソスを感じさせるものではあるのですが……